奥村にとって人生で一番やりたかったにもかかわらず、幾度と挫折に苦しんでしまった『音楽』。
しかし、ピアノ演奏を手に入れた瞬間、彼は『創作』と『音楽』という、大きな財産を手にすることができました。
奥村は創作の道を歩んでも『音楽』という夢を捨てなかったからだと言っています。
どちらにしても『創作』と『音楽』は共通する“エンターテイメント”には変わりはありません。
音楽制作部-Sync Records-

―番やりたかった『音楽』への挫折。
僕は高校生の頃、浅倉大介(access)さんに憧れ、社会人になってから好きな曲の楽譜とキーボードを購入しました。「これで憧れの浅倉さんに一歩近づく!」と意気込んだものの、左右の手を動かすことすらできず、挫折してしまいました。
その後も何度も挑戦したのですが、思いは届かず、当時の僕は『音楽』を諦め、映像を主体とする創作活動にシフトしました。
しかし、10年取り組んだ僕の創作活動のスキルはやがて自信へと変わり、根拠もなく「今ならできる」と13年後の現在、遂に『音楽』を手にすることができました。

―メイク&スタイリストもセルフプロデュース。
僕はメイクやスタイリストも自分で行うのですが、
路線は活動当初から変わらず、V系メイクに近いものとなっています。僕にとって『奥村』という“アーティスト”としてのイメージを作ることは大切で個性を作ることも僕にしかできないという“付加価値”だと思っています。
特に今作の場合、コンセプトが『クラシック調』だったので衣装はフォーマルなものにしました。
因みにリボンタイは僕の拘りで特注品です。
また作中ではウィッグを被っているのですが、これは松下が描いた僕の肖像画をもとに僕が10代からお世話になっている美容師さんに切って貰いました。
それから他にもリングやカラーコンタクト、耳にはショッキングピンクの羽根ピアスをしたりと細かい演出にも徹底的に拘っています。
ただ僕は耳に穴を開ける嫌だったのでイヤリングに改造しています。

―長崎市の地域振興も意識したMV制作。
今作の企画として僕は2つの『思い』を込めて制作に取り掛かりました。
ひとつはこれからの若い世代に『夢を持ってもらいたい』という思いです。夢とはいえ、必ず目の前に壁が立ちはだかる時がきます。そんなとき諦めるか、諦めないかで『夢』への勝敗は決まると思います。夢というのはどんなものでもいいと思います。芸能人になるという大きなものだったり、入社したい会社への就職という現実的なものだったり…。何より『夢』に必要なのは“勇気”や“希望”だと思います。
それは挫折から脱却した僕だからこそ説得力のある言葉を届けられると思います。
そしてもうひとつは今作を企画したときに浮かんだ長崎旅博覧会のキャンペーンソングの“私ここにいます”の影響です。
僕にとってこの楽曲とCMの印象は大きく、僕も地元長崎に貢献できるような映像作品を制作したいと思いました。